Tokyo Stillness
See Tokyo, differently.
History, Culture & Artisans 2026.07.17
風が鳴らす、東京の涼。「篠原風鈴本舗」で江戸風鈴の音に触れる
東京の夏は、時に逃げ場がないほどの暑さを連れてきます。強い日差し、アスファルトの照り返し、街を歩くだけで身体にまとわりつく熱気。その一方で、日本には、温度そのものを下げるのではなく、感覚のほうから涼しさに近づいていく知恵があります。そのひとつが、風鈴です。
風が吹いたときだけ、ガラスの音が小さく鳴る。涼しい空気をつくるわけではないのに、その音を聞くと、ふと夏の暑さがやわらいだように感じる。江戸川区に工房を構える「篠原風鈴本舗」では、そんな日本の“涼”を形にする江戸風鈴が、今も一つひとつ手仕事で作られています。
工房では、職人の手仕事を間近に見学できるほか、絵付け体験を通して自分だけの風鈴を作ることもできます。ガラスに好きな絵を描き、音を選び、完成した風鈴を持ち帰る。ここで過ごす時間は、ただお土産を買うだけではなく、東京の夏を自分の手で形にする小さな体験でもあります。
鳴らす道具ではなく、風を受け取る工芸

風鈴と聞くと、多くの人が夏の軒先に揺れるガラスの姿を思い浮かべるかもしれません。篠原風鈴本舗では、江戸風鈴を選べるだけでなく、工房見学や絵付け体験も可能。職人の手仕事を間近に見て、透明なガラスの内側に自分で絵を描き、完成した風鈴を持ち帰ることができます。
篠原風鈴本舗の代表・篠原惠美氏に江戸風鈴の魅力について尋ねると、まず返ってきたのは「音が出る目的」についての話でした。
「風鈴というのは、何か目的があって音を出すわけじゃないんです。たとえば海外では“ウィンドチャイム”と訳すこともありますけど、チャイムは何かを知らせるために鳴らすものですよね。風鈴はそうではなくて、風が吹いたら鳴る。それだけのものなんです」
自分で鳴らすのではなく、風にまかせる。音が生まれることで、そこに風があったことに気づく。そんな受け身のあり方に、風鈴ならではの魅力があります。
「風があるときに聞こえてくるということで、すごく自然の中に溶け込んでいるというか、自然を大事にしている。そういう日本人らしさが表れているかなと思いますね」
強い音ではなく、空気になじむ音

江戸風鈴の音は、ガラスならではのやわらかさを持っています。テレビやCMなどで、夏の象徴としてガラスの風鈴が映ることは少なくありません。ただし、映像ではガラスの風鈴が映っていても、効果音としては金属製の風鈴の音が使われることもあるそうです。
「ガラスの風鈴の音は本当にやわらかいんです。よく言えばやわらかい。悪く言えば、インパクトがない。だから音を強調したいときには、金属の風鈴の音が使われることもあります」
しかし、その控えめな響きこそが、江戸風鈴らしさでもあります。耳に強く残るのではなく、ふとした瞬間に空気のなかへ溶けていく。涼しさを押しつけるのではなく、気づかせてくれる音です。

もうひとつ、江戸風鈴の音を特徴づけているのが「鳴り口」と呼ばれる下部の縁です。江戸風鈴では、この部分をあえて完全につるつるにはせず、ギザギザを残しています。
「縁がつるつるだと、叩く音は出ますけど、擦れたときの音がしないんです。江戸風鈴はギザギザのままにしているので、叩く音もあれば、擦れる音もある。そこを楽しめるということですね」
風が強ければはっきりと鳴り、弱ければかすかに擦れる。音の表情は、そのときの風によって変わります。同じ風鈴でも、同じ音は二度とありません。江戸風鈴の音には、自然と手仕事の揺らぎがそのまま表れています。
型を使わず、感覚で吹く。宙吹きの仕事

江戸風鈴は、型を使わずにガラスを膨らませる「宙吹き」という技法で作られます。
「膨らます作業は、どこを取っても難しいです。相手は溶けているガラスなので、巻き取るのも難しければ、思い通りに膨らますのもとても難しい。型吹きなら同じものがたくさんできますけど、宙吹きとなると100%自分の感覚だけが頼りなんです」
小さな玉を膨らませられるようになるまでに、およそ3年。さらに風鈴になる大きな玉まで作れるようになるには、10年ほどかかるといいます。似た絵柄の風鈴が並んでいても、形や厚みは少しずつ違います。そして、その違いは音にも表れます。
「音はどこか一つの工程で決まるというより、全体ですね。形、大きさ、厚み。しかも厚みも場所によって違うので、総合的というか、複合的な結果なんです」
狙った音を機械的につくるのではなく、一つひとつの結果として音が生まれる。だからこそ、江戸風鈴は実際に鳴らして選ぶ楽しさがあります。
澄んだ高音だけではない、涼しさを感じる音

篠原風鈴本舗では、実際に音を聞いて、気に入ったものを選んでもらう売り方を大切にしています。見た目で惹かれ、手に取り、音を聞く。風鈴は、目と耳の両方で選ぶものなのです。
一方で、完成した風鈴のなかには、音の面で弾かれるものもあります。
「元々ガラスって、金属ほど響きが長いものではないんです。けれど、響きがなさすぎるものや、音が硬すぎるものは弾きます。厚いと音がコツコツになってしまうんですよ」
きれいに見えるだけでは、よい風鈴とは言えません。鳴らしたときに、柔らかく、空気になじむ音がするかどうか。そこには、長年の経験でしか判断できない職人の耳があります。
変わらない技法と、変わっていく絵柄

江戸風鈴のもうひとつの特徴が、内側から描かれる絵付けです。ガラスの外側ではなく内側に絵を描くため、完成すると絵は透明なガラス越しに見えます。外側を触っても絵が落ちにくく、ガラスの丸みと重なることで、独特の奥行きが生まれます。
「最初は内側に描くのは難しいと思うんですけど、慣れてくると内側のほうが描きやすいこともあるんです。外側に描くと表を触れないですが、内側に描いているので、外側はどこを触ってもいいんですよ」
絵柄は、時代とともに大きく変化してきました。かつては赤い風鈴が多く、宝船や松竹梅など、縁起のよい柄が描かれていました。現在では、花火、蛍、紫陽花など、涼しげな絵柄も定番になりました。
「昔は数をこなすために、もっとシンプルな絵が多かったんです。今は、やっぱり綺麗じゃないと買ってもらえない。こういう絵があったらお客様に喜ばれるかな、というところから増えていった柄もあります」
変わらない手仕事と、時代に合わせて変わる意匠。その両方があるから、江戸風鈴は今の暮らしの中でも新鮮に響いています。
伝わる涼、伝わらなくてもいい美しさ

実際に絵付け体験に訪れる人のなかには、海外からの旅行者も少なくありません。用意された風鈴に自分で絵を描き、世界に一つだけの風鈴を持ち帰る。その過程には、風鈴を「見る」「描く」「鳴らす」という楽しみが詰まっています。
日本人は涼しげな色を選ぶことが多い一方で、海外の人は赤やオレンジなど、鮮やかな色を使うこともあるそうです。それは、日本の“涼”とは少し違うかもしれません。けれど、風鈴を美しいと思い、自分なりに楽しむという意味では、十分に自然な受け止め方です。
「まずは絵なんですよね。風鈴が欲しいなと思う人は、こんな絵があるんだ、こんな絵なら欲しいな、と目から入る。それから耳なんです。なので、目と耳の両方で楽しんでほしいですね」
見る、描く、鳴らす。その過程を通して、江戸風鈴は単なるお土産ではなく、東京で触れた夏の記憶として残っていきます。
江戸風鈴の音色は、風を待つ時間までも楽しませてくれます。ガラスに描かれた絵を眺め、ひとつずつ異なる響きに耳を澄ませる。ヒルトン東京お台場から電車で約1時間、夏の午後に訪れて夕方には海辺のホテルへ戻る小さな東京散策は、旅の中に静かな“涼”の記憶を残してくれるでしょう。





